休みの日一人で、見てきました。
内田樹先生によると
(以下、ブログの引用です。)
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『BRUTUS』の宮崎駿特集にも書いたけれど、宮崎駿の映画的達成については語るべきことが多い。
それはたぶん宮崎駿という人が、あまり「テーマ」とか「メッセージ」とかいうことを深く考えず、「描いて気持ちがいい絵」、「観て気持ちがいい動き」に集中しているからだろうと思う。
身体的な「気持ちのよさ」をもたらす要素は多様であり、私たちはそれを完全にリストアップすることはできない(半分もできない)。
でも、ひとつは確実にわかっている。
それは「ヒューマンスケールからの逸脱」である。
日常的な生活身体を以てしては決して経験することのできない「速度」や「高度」や「風景」や「体感」に同調することである。
凡庸な作家は、日常的には禁圧されている暴力とエロスを描けば「気持ちが良くなる」と思っている。
けれども、暴力的・エロティックな方向への「逸脱」はすでにフィクションの世界では擦り切れるほど使われすぎたせいで、「ほとんど日常」と化しており、異常な強度によるか不意を衝くような提示によってしか「震え」をもたらさない。
宮崎駿は久しく「飛行」と「疾走」のもたらす身体的快感をどのように観客に追体験させるかに技術的な工夫を凝らしてきた。
『借りぐらしのアリエッティ』も、非日常的な仕方で身体を使う主人公に同調することで映画的快感を経験するというスキームそのものは変わらない。
けれども、今回ははじめて「非日常的縮尺」という仕掛けを用いた。
主人公は「床下のこびと」であるから、人間の世界の事物はどれも桁外れに、非人間的に巨大なものとして映現する。
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(以上、引用終わり)
でも、とにかく、見終わって、なぜか、気持ちよかったです。
若いカップルを尻目に、一人で映画をみていた「おやじ」でした。。
新潟県上越市 かるがも矯正歯科 院長 新部 洋史